【マラドーナ】 (レビュー)

【こだわりの品(しな)】
言わずとしれたアルゼンチンの超有名なサッカー選手、ディエゴ・マラドーナのドキュメンタリーだ。彼の名プレーの映像とインタビューを交えて描かれるのだが、この監督特有なのか、通り一遍等の作品にはなってない。
いろんな関係もあるんだろうけど、監督自身もバンドで演奏したり(そこにマラドーナが来たり)、マラドーナとサッカーしたりする。もちろん、どれもこれもマラドーナと一緒なんだけど、これだけ、自分も撮る必要があったのかなあ、と思ってしまう。監督の映像はそれはそれで面白いんだけど、マラドーナの印象が薄まってしまう感もぬぐえないのである。
マラドーナと言えば、メキシコ・ワールドカップでの有名な「神の手」。その「神の手」を模した教会があるのには驚くけど、そんなにまじめにやってないような、ただのイベント風にも感じられる。
そしてマラドーナのインタビューは、これまた話を聞いてても、どこまで本当かよ、と思ってしまわなくもない。多くの伝説を残した選手だからか、話っぷりもどことなく超人的である。
また、マラドーナはサッカーだけにとどまらず、政治的な活動もしてるようで、その模様も描いてる。キューバのカストロや、ベネズエラのチャベス大統領との親しい場面も出てくる。いずれも反米という共通点はある。マラドーナはいずれ、政治家になるのかもしれない。2009年12月現在は母国の代表監督だが、今の成績ではその座も危ういので、充分、考えられる(どうせ監督はそんなに長くやらないか…)。(越智)

◆エミール・クストリッツァによるディエゴ・マラドーナに関するドキュメンタリー映画。
「神の子」マラドーナ。「ゴッドハンド」と麻薬スキャンダルくらいしか知らなかったのだが、題材としてはとても面白い人でした。クストリッツァはマラドーナを「マーロン・ブランドやその他の偉大な映画俳優を思い起こさせる。公の場(舞台)から降りると、彼らはどのように生きたらいいか分からなくなる」と語る。まさに、マラドーナという異端児・反逆児の「人間」を描いた本作品の全てがこの言葉に集約されていると言っても良いだろう。また、作中には反政府デモなど政治活動に関する描写も意外と多く、一般的なサッカーファンには肩透かしな作品になるかもしれない。
クストリッツァ率いるノー・スモーキング・オーケストラのステージにマラドーナが飛び入りする場面や、マラドーナが司会するテレビ番組にクストリッツァが出演するなど、映画界の反逆児とも呼ばれるクストリッツァと、あらゆる大勢にアンチの旗を掲げるマラドーナが、本作品の撮影を通じて互いにシンパシーを感じていることは明らかだ。でもクストリッツァ以上にマラドーナは曲者のようで、「あるときはイエスと言うのに、次はノーと言ってきたりする」とのことで、撮影も大変だったらしい。そこらのスケールでは測りきれず、常にはみ出してしまうマラドーナ。すぐ側にいると、とても厄介な存在だが、傍から見ている分にはこれほど魅力的な人物はいない。クストリッツァがマーロン・ブランドを引き合いに出すのも頷ける。
けれど、個人的に何よりも驚いたのは、マラドーナ教という宗教が存在していることだ。作品のところどころに、マラドーナ教の教徒によるコメントも挟まれており、作品の終盤にはサッカー場のピッチで結婚式まで行われる。きちんと神父がいて、少し変わった結婚の誓いの後にタキシード姿の新郎もウェディングトレスの新婦も混じってサッカーを始める、その展開に驚愕しながらも妙に納得してしまうのは、やはりマラドーナがコッドハンドを使うことができるからだろうか。(栗栖)


0.作品紹介
1.内容
*HOME